マティスが好きな大学生の日常

ふつうの大学生のふつうの日常です。

岡潔『春宵十夜』

 岡潔。経歴。
 1901年大阪生まれ。京都帝国大学卒業。フランス留学を経て、帰国後、広島文理科大学、北大、奈良女子大で教鞭をとる。後年、多変数解析関数論の分野における超難題「三大問題」を解決し、数学者としてその名を世界に轟かせた。1960年に文化勲章を、1963年に『春宵十夜』で毎日出版文化賞を受賞。1978年没。

『春宵十夜』。メモ。
♪よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。

♪数学上の発見には、それがそうであることの証拠のように、必ず鋭い喜びが伴うものである。この喜びがどんなものかと問われれば、チョウを採集しようと思って出かけ、みごとなやつが木にとまっているのを見たときの気持ちだと答えたい。

♪七、八番目の論文は戦争中に考えていたが、どうしてもひとところうまくゆかなかった。ところが終戦の翌年宗教に入り、なむあみだぶつをとなえて木魚をたたく生活をしばらく続けた。こうしたある日、おつとめのあとで考えがある方向へ向いて、わかってしまった。このときのわかり方は以前のものと大きくちがっており、牛乳に酸を入れたときのように、いちめんにあったものが固まりになって分かれてしまったといったふうだった。それは宗教によって境地が進んだ結果、物が非常に見やすくなったという感じだった。だから宗教の修行が数学の発展に役立つのではないかという疑問がいまでも残っている。

♪情操が深まれば境地が進む。これが東洋の文化で、漱石でも西田幾多郎先生でも老年に至るほど境地がさえていた。だから漱石なら「明暗」が一番よくできているが、読んでおもしろいのは「それから」あたりで、「明暗」になるとおもしろさを通り越している。

♪信じることができなければ人とは言えないわけで、共産主義でも科学でも、信じるからいけないのではなく、信じないからいけないのだといえる。

♪計算も論理もない数学をしてみたいと思っている。

♪この計算も論理もみな妄智なのである。私は真剣になれば計算はどうにか指折り数えることしかできず、論理は念頭に浮かばない。そんなことをするためには意識の流れを一度そこで切らなければならないが、これは決して切ってはならないのである。計算や論理は数学の本体ではないのである。

♪本当の数学は黒板に書かれた文字を普通の目で見てやるのでなく、自分の心の中にあるものを心の目で見てやるのである。これを君子の数学という。

♪ちなみに○×試験であるが、あれは一体何だろう。パチンコの一種だろうか。


春宵十話 (角川ソフィア文庫)

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