マティスが好きな大学生の日常

ふつうの大学生のふつうの日常です。

栗原将人『ガウスの数論世界をゆく 正多角形の作図から相互法則・数論幾何へ』

 栗原将人さんの『ガウスの数論世界をゆく』を買う。帯が邪魔だけど、加藤和也さんの推薦文が載っているので、メモをして、捨てる。


「数学は歴史を振り返ることでその本質が味わえるように思えます。この本は、整数論を切り開いた大数学者ガウスが何を考えたかを、現代整数論の重要分野である岩澤理論の世界第一線の研究者である著者が、しっかりと受け取り、わかりやすくたどる力作です。専門家も一般の人も楽しめる良書です。」



 あわせて志村五郎さんの言葉もメモ。


ガウスがやったからそのまねをしようというのはよい発想法ではない。現代には現代の考え方がある。」

佐藤優『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』

 2015年6月12日夜から14日昼にかけて箱根仙石原で2泊3日の合宿が行われた。

 講師は佐藤優。「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」と説いた、田辺元の『歴史的現実』を2日かけて音読する。

 本書にはその全記録が収められている。



 田辺元は昭和14年5月10日から6月14日の間に、京都大学で6回の講義をする。その講義をまとめた本『歴史的現実』はベストセラーとなる。この本で田辺は「一人ひとりの生命は有限だけど、悠久の大義のために死ねば、永遠に生きることができる」つまり「国のために死ね」と主張した。この本を読み、多くの学生が戦地に向かったという。



 佐藤優著『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』を読んで、誰かを知的カリスマとして拝むのは気持ち悪いことだ思った。


学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む

学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む

草原克豪『新渡戸稲造はなぜ『武士道』を書いたのか 愛国心と国際心』

「日本のために弁じた英語による自己主張の著書はまだきちんと書かれていない。二十世紀の冒頭にはBushidoやBook of Teaとかが世に出たが、その同じ世紀の末には日本はもの言わぬ大国となっていた。そんな日本は言葉では語らず、made in Japanの自動車などによって自己表現する国となっていた。世間の錯覚と違って日本で国際派と目されている知識人の多くは日本国内向けの国際派にしか過ぎず、外国と知的応酬を展開する人は稀である」と『和魂洋才の系譜』などの著書がある平川祐弘は指摘する。

 そのようななか、新渡戸稲造こそは真の国際派であると思っている日本人は多い。私自身もそう思っていた。が、よく考えてみると、新渡戸稲造がした「外国との知的応酬」なるものは『武士道』を書いたことぐらいしか一般に知られていない。その『武士道』にしても病気の療養中に、短い期間で口述筆記されたものであり、生涯の仕事と呼べるものではない。若い頃に「我、太平洋の橋とならん」と志した新渡戸の本当の「外国との知的応酬」とはなにか。

 草原克豪さんの『新渡戸稲造はなぜ『武士道』を書いたのか』には新渡戸の真の国際人としての仕事が書かれている。そして、その動機には強烈な愛国心があったことも書き記されている。新渡戸を台湾総督府に招き入れた後藤新平は新渡戸のことをこう評した。「あの男は、ちょんまげに洋服を着せたような男だよ」。


ヴォルテール『寛容論』 光文社古典新訳文庫

 ヴォルテール『寛容論』に日本についてのこんな記述がある。


「日本人は、全人類のうちでもっとも寛容な国民であった。その帝国では、十二の穏和な宗教が定着していた。そこへイエズス会士が来て、十三番目の宗派を形成した。ところがこの宗派は自分たち以外の宗教を認めたがらない。その結果はみなさんご存じのとおり。わが国でカトリック同盟が起こした内乱に劣らぬほどの恐ろしい内乱が日本で起き、その国を荒廃させた。しかも、キリスト教は血の海で溺れ死んだ。日本人はかれらの帝国を外の世界にたいして封鎖した。われわれは日本人から凶暴な獣みたいに見られてしまうようになった。思えば、われわれはイギリス人によって獣あつかいされ、ブリテン島から追い出された連中と似たような目にあっている。財務大臣コルベールは、日本人がわが国にとって必要な存在であると感じていたのに、日本人はわれわれを少しも必要としていなかったため、あちらの帝国との通商関係をうちたてようという企ては失敗に終わった。コルベールは日本人の意思の固さを思い知らされた。」


『寛容論』が書かれたのは1763年。ヴォルテールはどうやって日本についての知識を得たんだろう。「十二の穏和な宗教」が何を指しているのかも気になる。


寛容論 (光文社古典新訳文庫)

寛容論 (光文社古典新訳文庫)

羽生善治『大局観 自分と闘って負けない心』

 本書序盤に「合理的な思考がきちんとできるようになると、感覚的にも研ぎ澄まされていくものなのか。それとも、ロジカルになればなるほどエモーションは鈍化するのか」というテーマが提示されている。これは私も数学の技術的な部分を勉強しているときに、度々気になっていたことだったので、羽生さんがどのような結論に至ったのかを知ることがその後の読書の推進力になった。


 読み終わっても羽生さんなりの答えが明確に書いてある部分はなかった。ただ、長い棋士人生の中でたくさん読み、研究し、実践を重ねていくことで、羽生さんでも素朴な疑問をもつことを忘れ、新しい時代についていけなくなったこともあるんだなと思った。これはつまり、将棋に対する敏感さを失ったということなんだと思う。


栗原康『村に火をつけ、白痴になれ  伊藤野枝伝』

 伊藤野枝。大正時代の無政府主義者ウーマンリブの元祖。28歳のとき憲兵隊に虐殺される。


『村に火をつけ、白痴になれ』。

 いくつか好きな話があった。


 ひとつめは、拘束された恋人の大杉栄を助けるために野枝は、内務大臣、後藤新平に手紙を書いた。

「あなたは一国の偽政者でも私よりは弱い。」



 それと、哲学者のバートランド・ラッセルの自伝に書いてある話。

「わたしたちがほんとうに好ましいとおもった日本人は、たった一人しかいなかった。それは伊藤野枝という女性であった。かの女はわかく、そして美しかった。ある有名なアナキストと同棲していた。」



村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

加藤一二三『羽生善治論 「天才」とは何か』

 加藤さんの独特の考え方に最初はとまどったけど、だんだん楽しくなってきて、最終的におもしろく読了した。特に森内さんと戦ったときに二手指し ( 二手連続で指してしまい ) 反則負けたしたときの加藤さんなりの分析が面白かった。


「あのとき私にはどういうわけか現実感がなかったのも事実だった。どうも森内さんが着ていたモスグリーンの背広が原因だった気がする。モスグリーンの背広を着た森内さんと対峙していると、なぜか現実感がなくなってしまったのだ。」


 他にも前日においしいビフテキを食べたから、非常に調子がよく、強気な将棋が指せたという話も味わい深かった。