マティスが好きな大学生の日常

ふつうの大学生のふつうの日常です。

ニーチェ『この人を見よ』Ⅱ

 ニーチェ『この人を見よ』を再読する。ブログで確認すると、初めて読んだのは 2017 年 3 月 1 日で、335 日前のこと。2 度目でも面白い。



 メモ。

 ……ところで人間の出来のよさは、根本的にはどこで見わけられるのか!出来のよい人間は、われわれに快楽をあたえてくれる。出来のよい人間は、堅いだけでなく、しなやかで、いい匂いのする木で彫られている。……悪い偶然を自分の都合のいいように利用する。……見るもの、聞くもの、経験するものすべてから、本能的に収集して合計し、自分の総体とする。出来のよい人間は、選択の原理であり、多くのものをふるい落とす。


 私は、どんなクマでも手なずけ、どんな道化者でも行儀よくさせる。


 ……私のあの『ツァラトゥストラ』は、孤独に捧げた頌歌である。あるいは……きれいであることに、純粋であることに捧げた頌歌てある。


 問題ではない問題を、私は考えたことなどない。……「神」、「魂の不滅」、「救い」、「彼岸」、これらは、私が注意を払ったこともなければ、時間を割いたこともない概念ばかりだ。


 壁を作って自分を守るということは、精神が妊娠したとき、本能が最初に見せる利口な方策なのだ。


 私の著作でしゃべっているのは、比類ない心理学者である。


 ……結局、私はスタンダールの格言を実行していたのだった。「世に出るには、決闘をもってせよ」……


 ……そのときこの思想がやってきた。……その前兆として、私の趣味が、とくに音楽の趣味が、突然、ものすごく深いところで変わっていたことに気づいた。もしかしたら『ツァラトゥストラ』は全編が音楽であると考えてもいいかもしれない。


 稲妻のように思想はひらめく。必然的に、ためらいなどなく。……私は選択などしたことがない。恍惚となるだけだ。


ニーチェ『この人を見よ ( 光文社古典新訳文庫 )』 - マティスが好きな大学生の日常


この人を見よ (光文社古典新訳文庫)

この人を見よ (光文社古典新訳文庫)

小澤征爾×村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』

 小澤征爾×村上春樹小澤征爾さんと、音楽について話をする』に載っている、小澤征爾マーラーの出会いの話。


 学生のとき同室だった男がマーラーの一番と五番を勉強していた。彼に楽譜を見せてもらい、そのとき初めてマーラーに出会った。「オーケストラというものをこれほどまでうまく使える人がいたんだ、というのがいちばんの驚き」「マーラーってもう、極端なまでにそういう使い方がうまい」。
 自分がチャイコフスキーとかドビュッシーとかの音楽をやっているあいだに、必死になってマーラーを勉強しているやつがいることに真っ青になって、死に物狂いで一番、二番、五番のスコアを読み込んだ。


 バーンスタインのアシスタントのときにニューヨークで初めてマーラーを聴いた。「もう、それはショックでした。それと同時に、バーンスタインがこういう音楽を文字通り『開拓している』現場に一緒にいられるということの幸せをひしひしと感じました。」



丹羽宇一郎『死ぬほど読書』

 丹羽宇一郎『死ぬほど読書』に載っていた面白そうな本のメモ。


 1冊目。
 丹羽さんがアメリカ駐在時代、大豆穀物を扱う部署に属していたので読んだアメリカ農業の本『アングリカルチャー・イン・ザ・ユナイッテド・ステイツ : ア・ドキュメンタリー・ヒストリー』。全4巻、4000頁。
 ヨーロッパから海を渡って新天地にやってきて、後に「世界の食糧庫」と呼ばれる土地を開拓していった人たちがどんな思いを抱え、塗炭の苦しみをなめたのか。
 往時の生活の様子や、先住民と遭遇したり、野獣に襲われたりしながら開拓が進められていく様子が克明に描かれている。中西部へ農地開拓に向かった人たちが家族とやりとりした手紙も、そのまま収められている。開拓後、ヨーロッパで道路債や鉄道債を発行して資金調達を行い、鉄道を敷いたり、道路がつくられていく様も記されている。


 2冊目。
 岩波書店から刊行された全42巻の『大航海時代叢書』の25巻。この本は、15世紀末から17世紀初めの大航海時代、ヨーロッパ人が未知の土地を求めて世界中を船で探検した記録で、コロンブスヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランの航海記録、東方諸国記、インカ皇統記、メキシコ征服記、日本王国記など、当時の航海記、探検記、見聞録、民族誌がほぼ網羅されている。


死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

岡本太郎「すさまじい美学について」in『世界美術への道』

 凡質凡器ではあるんだけれど、生まれたままのそれではなく、ねりにねって修練されたあとの"凡"ですね。いったんアクぬけしたあとの"凡"、これが最高。」

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 岡本太郎 ( おかもとたろう )

 1911ー96年。父は漫画家・岡本一平、母は作家・岡本かの子。29年渡仏、抽象表現、シュルレアリスムの運動に参加。パリ大学民俗学、哲学を学び、バタイユらと活動を共にした。40年に帰国、42年中国戦線に出征。46年に復員後、花田清輝らと「夜の会」を結成し、アヴァンギャルド芸術を推進した。『今日の芸術』『日本の伝統』はベストセラーとなった。70年、大阪万博テーマ館のプロデューサーとして「太陽の塔」を制作。以後、テレビをはじめとするあらゆるメディアを通じて発言と行動をつづけた。


 すさまじい美学について。メモ。

「私はいわゆる民族的自覚とか、東洋人の血というような、素朴なつながりを意識したわけではない。かえって身近い日本芸術には、極めて稀な例をのぞいて、あの弱々しさ、薄っぺらさに、耐えられない嫌悪を感じてさえいたのだ。そしてこのむしろわれわれの民族の中には運命的に失われている、重厚で非情な、大陸の厖大な芸術の圧力に、ぞくぞくするほどのよろこびを、あつく強く身体全体に感じとったのである。」


「西洋美学の伝統を濃く受けつぎ、ふまえながら着々と確信し準備していたものは、そのようないわば超近代的な美学だったのである。」


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升田幸三『王手』

 美がふんだんにあるというのに、こちらは退屈し、絶望している。しかし、美に絶望し退屈している者こそほんとうの芸術家なんだけれど。」

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升田幸三『王手』。メモ。

#一途がいい
「ぼくらのほうでも伸びてくるのは、将棋ひと筋というか、一途な人が伸びてくる。伸びてきてある程度にくると、政治、経済、社会、いろんなことを解釈するようになるが、それはやはり、修行時代に一途なひとに多い。」


#観察
「ぼくは小さいときから、動物でも人間でも、なにかしよるところを観察するのが好きでした。」


#最後は人間
「将棋とは限りませんよ。絵にしろ、書にしろ、刀にしろ、そうです。科学的、数学的なものが基本になっておる将棋ではありますが、行きつくところは、その人の心、人間にある。そしてその味がみごとに開花したとき、これが最高の芸術だろうと、私は思っております。」


#俗気
「凡質凡器ではあるんだけれど、生まれたままのそれではなく、ねりにねって修練されたあとの"凡"ですね。いったんアクぬけしたあとの"凡"、これが最高。」


#理解度
「どの道でも、名人の境地に達すると、自分の専門以外のことでも、だいだい理解ができるようになるもんです。将棋を指すから刀がとげるとか、大工ができるとかいうもんじゃない。理解度がある。」

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王手 (中公文庫)

王手 (中公文庫)

岡本太郎『日本の伝統』

 ハイテク機器など使わない議論、森の中を散歩しながらの思索、美しさに対する感性を武器にした研究、これらの価値については一歩もゆずる気はない。

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 岡本太郎『日本の伝統』。メモ。

「美がふんだんにあるというのに、こちらは退屈し、絶望している。しかし、美に絶望し退屈している者こそほんとうの芸術家なんだけれど。」

「私など、おなじ東洋でも、殷、周のような中国の伝統芸術のほうに強力に撃たれるし、またエジプトとか古代メキシコ文化のすごみにはるかに強くひかれる。それらは圧倒的であり、心が転動するほどの根源的な人間的共感を呼びおこします。」

「私は現在のこれっぽっちのために、過去の全部を否定してもかまわないと思っている。」

「論理、非情、純粋。これこそ光琳芸術の本質であり、それゆえにまたスケールの大きさ、世界性を獲得しているゆえんだと思います。私がパリのまんなかで、夢にも想像しなかった光琳にぶつかり、電光に打たれた思いをしたのも、真に光琳が芸術の本質的な課題をつかんでそれを突きつけていたからなのです。」

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日本の伝統 (知恵の森文庫)

日本の伝統 (知恵の森文庫)

深谷賢治『数学者の視点』

 A が正則局所環なら任意の p ∈ Spec A について局所化 Ap は正則局所環である。』

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深谷賢治『数学者の視点』。メモ。

 数学の研究を単調な作業の繰り返しにしてしまうことは、時として堕落でさえある。数学で発見にたどり着く道は、多くの場合、ありうる論理の糸を順番に一つずつ忍耐づよく試すことではなく、一番美しく魅力的でおもしろい糸を断固として求めていくことである。つまらなく感じられる研究は、放棄しなければならない。単調な作業をいとわない忍耐より、何もすることがなくなる恐怖に打ち勝つ勇気が要求される。そして何より大事なのは、つまらないことをつまらないと感じられる感性である。


 コンピュータが活躍する多くの分野には、何かいつも「深み」が欠けているように感じられた。コンピュータグラフィックスで描かれた素人でも楽しめるきれいな絵は、口当たりのよいコーラのような気がして、純粋数学の深遠な定理のヴィンテージワインのような深い味わいがなかった。


 ハイテク機器など使わない議論、森の中を散歩しながらの思索、美しさに対する感性を武器にした研究、これらの価値については一歩もゆずる気はない。


 何百年も解けなかった問題を解くのは素晴らしいことだが、筆者の(大きな)夢は何百年も解けない問題を提出すること、長い間数学者に夢を見させる材料を見いだすことである。


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数学者の視点 (岩波科学ライブラリー)

数学者の視点 (岩波科学ライブラリー)