マティスが好きな大学生の日常

ふつうの大学生のふつうの日常です。

岡本太郎「すさまじい美学について」in『世界美術への道』

 凡質凡器ではあるんだけれど、生まれたままのそれではなく、ねりにねって修練されたあとの"凡"ですね。いったんアクぬけしたあとの"凡"、これが最高。」

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 岡本太郎 ( おかもとたろう )

 1911ー96年。父は漫画家・岡本一平、母は作家・岡本かの子。29年渡仏、抽象表現、シュルレアリスムの運動に参加。パリ大学民俗学、哲学を学び、バタイユらと活動を共にした。40年に帰国、42年中国戦線に出征。46年に復員後、花田清輝らと「夜の会」を結成し、アヴァンギャルド芸術を推進した。『今日の芸術』『日本の伝統』はベストセラーとなった。70年、大阪万博テーマ館のプロデューサーとして「太陽の塔」を制作。以後、テレビをはじめとするあらゆるメディアを通じて発言と行動をつづけた。


 すさまじい美学について。メモ。

「私はいわゆる民族的自覚とか、東洋人の血というような、素朴なつながりを意識したわけではない。かえって身近い日本芸術には、極めて稀な例をのぞいて、あの弱々しさ、薄っぺらさに、耐えられない嫌悪を感じてさえいたのだ。そしてこのむしろわれわれの民族の中には運命的に失われている、重厚で非情な、大陸の厖大な芸術の圧力に、ぞくぞくするほどのよろこびを、あつく強く身体全体に感じとったのである。」


「西洋美学の伝統を濃く受けつぎ、ふまえながら着々と確信し準備していたものは、そのようないわば超近代的な美学だったのである。」


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升田幸三『王手』

 美がふんだんにあるというのに、こちらは退屈し、絶望している。しかし、美に絶望し退屈している者こそほんとうの芸術家なんだけれど。」

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升田幸三『王手』。メモ。

#一途がいい
「ぼくらのほうでも伸びてくるのは、将棋ひと筋というか、一途な人が伸びてくる。伸びてきてある程度にくると、政治、経済、社会、いろんなことを解釈するようになるが、それはやはり、修行時代に一途なひとに多い。」


#観察
「ぼくは小さいときから、動物でも人間でも、なにかしよるところを観察するのが好きでした。」


#最後は人間
「将棋とは限りませんよ。絵にしろ、書にしろ、刀にしろ、そうです。科学的、数学的なものが基本になっておる将棋ではありますが、行きつくところは、その人の心、人間にある。そしてその味がみごとに開花したとき、これが最高の芸術だろうと、私は思っております。」


#俗気
「凡質凡器ではあるんだけれど、生まれたままのそれではなく、ねりにねって修練されたあとの"凡"ですね。いったんアクぬけしたあとの"凡"、これが最高。」


#理解度
「どの道でも、名人の境地に達すると、自分の専門以外のことでも、だいだい理解ができるようになるもんです。将棋を指すから刀がとげるとか、大工ができるとかいうもんじゃない。理解度がある。」

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王手 (中公文庫)

王手 (中公文庫)

岡本太郎『日本の伝統』

 ハイテク機器など使わない議論、森の中を散歩しながらの思索、美しさに対する感性を武器にした研究、これらの価値については一歩もゆずる気はない。

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 岡本太郎『日本の伝統』。メモ。

「美がふんだんにあるというのに、こちらは退屈し、絶望している。しかし、美に絶望し退屈している者こそほんとうの芸術家なんだけれど。」

「私など、おなじ東洋でも、殷、周のような中国の伝統芸術のほうに強力に撃たれるし、またエジプトとか古代メキシコ文化のすごみにはるかに強くひかれる。それらは圧倒的であり、心が転動するほどの根源的な人間的共感を呼びおこします。」

「私は現在のこれっぽっちのために、過去の全部を否定してもかまわないと思っている。」

「論理、非情、純粋。これこそ光琳芸術の本質であり、それゆえにまたスケールの大きさ、世界性を獲得しているゆえんだと思います。私がパリのまんなかで、夢にも想像しなかった光琳にぶつかり、電光に打たれた思いをしたのも、真に光琳が芸術の本質的な課題をつかんでそれを突きつけていたからなのです。」

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日本の伝統 (知恵の森文庫)

日本の伝統 (知恵の森文庫)

深谷賢治『数学者の視点』

 A が正則局所環なら任意の p ∈ Spec A について局所化 Ap は正則局所環である。』

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深谷賢治『数学者の視点』。メモ。

 数学の研究を単調な作業の繰り返しにしてしまうことは、時として堕落でさえある。数学で発見にたどり着く道は、多くの場合、ありうる論理の糸を順番に一つずつ忍耐づよく試すことではなく、一番美しく魅力的でおもしろい糸を断固として求めていくことである。つまらなく感じられる研究は、放棄しなければならない。単調な作業をいとわない忍耐より、何もすることがなくなる恐怖に打ち勝つ勇気が要求される。そして何より大事なのは、つまらないことをつまらないと感じられる感性である。


 コンピュータが活躍する多くの分野には、何かいつも「深み」が欠けているように感じられた。コンピュータグラフィックスで描かれた素人でも楽しめるきれいな絵は、口当たりのよいコーラのような気がして、純粋数学の深遠な定理のヴィンテージワインのような深い味わいがなかった。


 ハイテク機器など使わない議論、森の中を散歩しながらの思索、美しさに対する感性を武器にした研究、これらの価値については一歩もゆずる気はない。


 何百年も解けなかった問題を解くのは素晴らしいことだが、筆者の(大きな)夢は何百年も解けない問題を提出すること、長い間数学者に夢を見させる材料を見いだすことである。


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数学者の視点 (岩波科学ライブラリー)

数学者の視点 (岩波科学ライブラリー)

2018年1月5日から1月8日までの読書記録。

2018年 ( 日付は読み終わった日 )

1月6日

岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』
岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』 - マティスが好きな大学生の日常

1月7日

松岡正剛『遊学Ⅰ』
紀野一義『「法華経」を読む』
紀野一義『「法華経」を読む』 - マティスが好きな大学生の日常

1月8日
金森修『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 』
ショーペンハウアー『読書について』


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後藤四郎『可換環論の勘どころ』

風の吹き過ぎるごとく生きる

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可換環論の勘どころ』からのメモ。


『さて、これまでイデアル論を中心にしながら環構造の基本 (勘どころ) を述べてきたが、現代可換環論をより広く理解して先に進むには、どうしても加群論を避けて通ることができない。例えば、イデアルの構造をより深く知りたいと願うなら、イデアル論を加群論の枠組みの中で再構築し、環の内部構造を外部表現に帰着させることが必要だからである。 homology 代数的手法はそのような手段の一つである。以下、迂遠に思えるかもしれないが、加群論から出発して地道に基礎理論を構築することにしよう。次のステップの勘どころである。かなり精緻で難しくもなるが、最終目標を第 7 章の系 7.9 において、どうか頑張って欲しい。』

『さて、今まで一生懸命に学んできたことを使ってみよう。本書の集大成である。
 本章で述べる系 7.9 は、 1955 年に日本で開催された国際研究集会で J.-P. Serre が発表したものであり、世界レベルで衝撃的なものであった。結果の重要性もさることながら、証明法がその後の可換環論の発展に決定的に大きな影響をもたらしたからである。今日でも系 7.9 には、ここで述べる Serre 自身の方法しか証明が知られていない。
 もし、 Serre の方法とは異なった証明法を見つけることができれば、有名になる。これは冗談めいた言い方に聞こえるかもしれないが決して冗談のつもりではない。その方法には可換環論の新たな発展の可能性が秘められているはずだからである。』


『系 7.9 (J.-P. Serre, 1955)
 A が正則局所環なら任意の p ∈ Spec A について局所化 Ap は正則局所環である。』

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可換環論の勘どころ (数学のかんどころ)

可換環論の勘どころ (数学のかんどころ)

紀野一義『「法華経」を読む』

………。」

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『「法華経」を読む』。メモ。

『肯定、肯定、絶対肯定の世界』

『私はこの頃、法華経や大無量寿経華厳経は、「イメージことば」(絵のあることば)で書かれたものだと考えるようになった。』

『クチャ人によってわれわれの読む妙法蓮華経は翻訳された。そのイメージは、インドのそれではなく中央アジアのそれである。稲の穂が輝き、梨の花、桃の花、杏の花が咲き乱れる国である。その風景は、日本のそれと大して変わりはない。繊細にして華麗な風物である。そんな中から、われわれの妙法蓮華経のイメージは創り出されていったのである。』

『過去の仏である多宝如来と現在の仏である釈迦如来とがひとつになった時、理念(ロゴス)を代表する多宝如来と、イメージを代表する釈迦如来とが一つの坐に並ぶ姿は、ロゴスを司る左脳と、イメージを司る右脳とが相並んで大脳を形作っているのを思わせる。
 今イメージ脳にとりつかれている私にとっては何でもそんな風に見えるのかも知れないが、論理や言語を司る左脳も大切なら、イメージ記憶や直観や芸術を司る右脳もまた大切で、その両者のバランスのとれたところにさとりがあると私は考えているので、「見宝塔品」の象徴的な世界は忘れられないのである。』


目 次
まえがき

第一章 羅什讃頌
 1-イメージで書かれた法華経
 2-賢治と中央アジア
 3-翻訳者・羅什の故里
 4-羅什の生涯
 5-流れるごとき名訳
第二章 オペラ白蓮花の序曲
 1-七百年ぐらい、ついせんころ
 2-芸術的な大乗経典の創作
 3-法華経の序曲
 4-「太陽が出ると、その枝は光ります」
 5-あっという間に怨みを捨て
第三章 光は東方を照らす
 1-人生が何を私に期待しているか
 2-山も川も人も花も、すべて光明
 3-山の中に隠れてしまった男
 4-額の光っている男はいないか
第四章 生かされて生きる
 1-何か難解難入なのか
 2-過去のことをひとつひとつ思い出しながら
 3-ゆいぶつよぶつ的人間について
 4-一大事因縁のゆえに
第五章 会うべき人についに会う
 1-壮大な一元論
 2-父を捨てた子
第六章 あっというまに信じてしまう
 1-智と禅
 2-あっというまに信じてしまう
 3-六祖出家の因縁
第七章 仇敵も、女人も、すばらしい
 1-ええなあ! ええなあ1
 2-強敵が人をば善く成しけるなり
 3-八歳の竜女が仏になる
第八章 堪える人々
 I-我、身命を愛せず
 2-地涌の菩薩として生きる
第九章 永遠のいのち
 1-ことごとく皆、恋慕を懐いて
 2-クロス・エンカウンター
 3-自己が、自己を、自己する
 4-常懐悲感・常在霊鷲山
第十章 すさまじき楽天主義
 1-我、深く汝らを敬う
 2-ぶち殺したい男はいないか
 3-すさまじき男

終わりに―風の吹き過ぎるごとく生きる

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「法華経」を読む

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